ここまで来るために・・・

ちょっとまじめに語ってみました

このページでは、私が作詞家になるまでの経緯をお話します。

もしも、作曲家や作詞家を目指している方がいらしたら、一つの「例」として読んでみてください。

〜♪〜


音楽活動は16歳の頃から。その時は「シンガーソングライター」(作詞して作曲して歌まで歌う!!!)で

デビューする予定でしたが諸事情により。。。。。没(T_T)


どうしても音楽の世界にいたくて、作家(音楽業界では、作曲家や作詞家を作家と呼びます。

音楽作家の略だと思うんだけれど・・・・)に転向。もともと書く方が好きだったから、あっさり決められた。

それから音楽事務所に入り、デスクワークから、マネージメント、楽器運び、そして時々作詞活動。

その事務所は作曲家が主なメンバーなので、作曲してても、目立たないと思った!!!

主にテレビや映画の「劇ばん」と呼ばれるBGMや、ミュージカル、CM、レビューなどを制作する事務所だったので

私が唯一作詞できるチャンスがあるのは、ミュージカルぐらいだった。

「POPSの作家を目指しているのに、ミュージカル・・・???」

最初はとまどったけれど普通のPOPSとは作り方、取り組み方が全然違って、

今になって思えば、ものすごく貴重な仕事をさせてもらったと、「心から感謝」してる。


考えてみれば、この時期が一番大変だった。お休みは日曜祭日だったけれど、

スタジオが入れば行かなきゃならなかったし。シンセサイザーを運んだり、

楽譜配ったり、やることはいっぱい! 

請求書も書いた。何でもやった。スタジオが朝6時まで終わらなければ、6時までいた。

次の日も出勤時間には出勤していた。

仕事の手配の間違いを夜中に気が付いて、眠れなくなった事もあったけれど、

「今からじゃ、どうしようもない。明日の朝一番で対処しよう。」って考えをスイッチする事を覚えた。

というより、そうしないと心も体も、壊れちゃうから!!

どうしても音楽で生きていく!それしかないっていうものすごいパワーがあったから、

『できたんだろうな。』


でも2年が過ぎた頃・・・初めて「もうやめちゃおうかな・・・」って真剣に思った。

私は作家なのに現状は作家活動よりも他の仕事に追われっぱなし。疲れ果てていた。心も体も。

出勤しようとすると、ものすごい胃痛。。。。心と体が拒否してるのが、はっきりわかった。

偶然にその年の年末、初めて長い休みをもらって、一人でロンドンに行ってみた。

イギリス上空を飛行機が旋回しながらヒースロー空港に着陸しようとしている時、「来た〜〜〜!!!!!」って嬉しかった。

ロンドンに親戚が住んでいるので、そこに居候したんだけれど、逢うのなんて初めてに近い。

その親戚は、何十年もロンドンに住んでるから。


誰も知ってる人のいない街。 明日と仕事の事を考えなくていい日々。

親切なイギリスの人々。とおい昔、殺し合いのあったお城。テムズ川。

ポートベローの、のみのいち。ミュージカル。歴史があるって素晴らしいと、肌で感じさせてくれた国。

生まれて育って大好きな東京なのに、疲れ果てていた私は東京から逃げ出したかった。

帰るところといえば、東京しかない私。

ずっとここに、ずっとイギリスにいたいと思った。

けれど、またたくまに10日間が過ぎ、東京へ帰る日がやってきた。

見上げたディパーチャーの案内のボードには「LONDON-NARITA」

その時!!考えられない事に、信じられない事に「TOKYO」という文字がものすごく懐かしく嬉しかった。

「帰ろう!!!私のふるさとの東京に!!世界から見たら、ちっぽけな私の、ちっぽけな悩みなんて、どうってことないさ!!! 

 頑張ろう!!!  頑張れる!!! 頑張りたい!!!」


たった10日間の旅で、心と体のすみずみまでリフレッシュできた。

東京に帰ってきたら、それまでがウソのようにうまく仕事が行き始め、まもなく舞台以外の作詞、

いわゆるレコード作詞デビューを果たしました。

それも「松山善三監督」の映画の主題歌で、歌は「さとう宗幸」さん。

いきなり主題歌で、もちろんA面なんて、思いも寄らなかった。

嬉しかった。嬉しかった。嬉しかった。ジャンルがどうの・・・なんて、もうどうでもよかった。

23歳の春の事でした。


事務所に入って5年が過ぎ、そろそろ独立を・・・・と考えた。

経済的にも、イコール仕事なんかあるのだろうか・・・と不安と、

「でもこのままでいたくない。」

という気持ちが心から離れず、とうとう「なんとかなるさっ!」と、事務所をやめた。


「さーーて、明日からしばらく、やすもーーっと!!! 今までいっぱい働いたんだもん。」

と思ったら、次の日、直接家に電話があり、仕事の発注!!!!  正直驚いた。

「木本さん、頑張ってたからさ、何かあったら声かけようって思ってたんだ。」

見ていてくれた人がいた事への感謝の気持ちと、頑張ってきてよかった、と思う気持ちで、

「ありがとうございます・・・・」しか言えなかった。

あの時ロンドンに行ってなければ、私の人生も変わっていたかも。。。。。

そしてあの頃、あんなに苦しかったデスクワークやマネージメント、

その他、全ての経験と、知り合えた方々があってこそ、今の私があります。

綺麗ごとじゃなく、どんな仕事でも場所でも「無駄な経験はない」と思います。


独立後、初めての仕事が北九州にオープンする、アミューズメントパーク、

「スペースワールド」のテーマ曲とイメージソングでした。

それから、みなさんのおかげで、順調に仕事の量は増え、かろうじて今も「作詞家」ができています。

1999年、プロになって15年。そして1999年の7月。独立してちょうど10年になります。


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