作詞家として思うこと (詩人と作詞家の違い、そして嘘は書けない理由) その他モロモロの言いたい放題〜♪


最近の歌の作り方は、まず最初に曲があり、そこに詞を当てていくというのが一般的です。

昔は、詞が先にあって・・・が普通でしたが今は児童向けや演歌以外、

ほとんど曲が先に出来ている、というパターンが圧倒的な割合です。

(俗に曲が先の場合、メロ先(めろせん) 詞が先の場合は、詞先(しせん)と呼びます。)

私の場合、アニメーションに作品を提供する仕事が多く、正直に言ってこれはとても大変な作業です。

初めて出会う作品の、原作本、ビデオ、脚本、キャラクター設定を熟読し、理解し、

一ファンになるところから始めなければなりません。

要求されている歌詞は何なのか、読解力と、想像力が作詞家の必需品です。

時にはコンペがあります。

色々な作詞家の作品を集めて「どれが一番いいかな?」と、ふるいにかけられるのです。

取れれば天国。落ちれば、タダ働き。毎日がサバイバルです。

(作詞家は、基本的にすべて印税で、作詞料というものはありません)


そして締め切りは、長くて一週間、短い時は中一日、なんていう事も、めずらしくありません。


作品と取り組むとき、その原作にのめりこみ、自分がそのキャラになったつもりで書き進めます。

「このキャラなら、こう考えているだろう・・・

 原作の先生は、これを言いたいのだろう・・・

 そして私は、こう考える。」

そんな風に作品を構築していきます。

そして大切な事は、いくらカッコいい言葉でも、曲にハマらない詞はダメだということ。

歌詞は音楽の一部であり、いくら字面がかっこよくても、曲として聴いた時に、

気持ちよくてはならない、というのが私の作詞家としてのポリシーです。

それが「詩人」と「作詞家」の一番違うところだと考えています。


それから「自分が思ってもいない "うそ" は書かない」という事。

自分が思ってもいない事を書いて、聴いてくださる方々を納得させられっこありません。

リスナーの皆さんは、すぐに見破ります。

あと心がけているのは、「取材はしない」事。

詞を書くために映画を見たり本を読んだり、音楽を聴いたり、は決してしません。

そんなの、つまんない。

楽しまなきゃ!! そして本当に感動したら、いやでも胸に残っているはず。

その感動を忘れなければ、心の引き出しに、いつまでもある・・・

いつか詞を書く時に、その感動は目を覚まして、私に思い出させてくれます。

これから作詞家を目指そうとしている方がいらしたら・・・

作詞家には、テクニックと、ひらめきと、チャンスと自信が必要だと思っています。

テクニックを身につける方法は、ただ一つ。書きまくる事です。

発表するしないは別として、一行でも多く書くことです。

偉そうに言うわけではありませんが、私はプロとして活動開始する前に、1000以上の詞を書いてきました。

書いていくうちに、「自分の世界」と「自分の中のルール」が見えてくるはずです。

そして自信も出てきます。

詞に、正解も不正解もありません。

好きか嫌いか、だけです。

自分の詞を「好き」だと言ってくれる、メーカーのディレクターやプロデューサーに、

いつか必ず出会えるでしょう。

それが、チャンスです。そのチャンスをモノにするために、書き続けてください。

いつチャンスが来てもいいように。

胸をはって「これが私の詞です!」と言えるように。

そして信頼を得られたなら、そこから「作詞家」と呼ばれるのです。

自分で決めるのではなく、回りが認めてくれて、初めて「作詞家」になれるのです・・・・・


言葉の仕事をしているのに、こんな事を言うのはルール違反かもしれません。

誤解を招くのを承知で書きます。

人にはそれぞれの苦しみや痛みがあり、その痛みや苦しみを

たかが音楽で解決して差し上げられるでしょうか?

私はそうは思いません。

例えば、人は皆、自分の人生というドラマの監督と脚本と主人公だ、と考えた時に、

音楽はその味付けをする役が精一杯だと思います。

心の叫びは、言葉を越えた所にあると思います。

言葉では越えられない心という壁に向かって、言葉を書く者は歩き続けるしかありません。

せめて、ほんの少しでも、この一言だけでも・・・

聴いて下さる方々の心に届いて・・・・!

そう考えつつ、一方で、100人の方が同じ歌を聴いても、同じ受け止められ方はしないでしょう。。。

私の中である種、それも喜びであり、「歌」とはそういうものだと思っています。


作品ができあがり、CDになって店頭に並んだ瞬間、それは、もう作者の「物」ではなく、

聴いてくださる方々の「物」になって行きます。

それが「作家」の仕事だと、私は考えています。


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