Lyrical な 掲示板

2002年3月〜


HITOMI(102) 題名:お久しぶりです★ 投稿日 : 2002年3月30日<土>15時51分/大分県/女性/14才

My Jolly Daysの「今だからわかること」を読ませていただきました。
私も、助けられてきた人に、後から気づくことが多くて何とも言えない気持ちになったりします。
中学生レベルのことですけど。
たとえば、部活の先生とか。
厳しくされていたそのときは、なんでこんなことしなくちゃならないんだろう・・・って思うのですが、あのときがあったから今があるんだなあ。っと思ったりします。

そういえば、私がピアノを習っていた頃は、先生と1対1でした。
先生がパイプ椅子に座っていて。
今、考えると、それってめちゃくちゃ緊張します・・・。

それにしても、難しいですね。大人の世界は。

木本慶子(543) 題名:ありがとうございます 投稿日 : 2002年4月4日<木>09時35分

読んでいただいたようで、ありがとうございます。

大人の世界って、難しいと思います。
人間関係や色々な事。

でも、その土台となる考えや、人との繋がりの大切さを学ぶチャンスは
やはり学生時代だと思うのです。
学校は一つのコミュニティーでもあり
小学生、中・高・大学などでは学問・勉強もですが
協調性、コミュニティーを作る、または円滑に運ぶためは
どうしたらいいかを学べる場所であると考えます。

自分の考えを閉じこめてまで、とけ込む必要はないとは思いますが
それでは、どうやったら自分の考えをみんなに理解してもらえるかとか
理解し合える人とは、どんな人なのかを実体験・知る事ができるでしょう。

その時には分からなくても、後になって
ああ、あの時の意味は、こういう事だったんだと気付くことだらけです。

大人といっても、子供(年齢が若年)の延長線上にあり
子供時代がない大人はなく、また大人は子供時代を経験していますが
子供は大人を経験していないわけです。
(もちろん若年の方でも、そのへんの大人より数倍の人生経験している方も
いらっしゃるわけで、絶対ではなく一般論としてです。)

全て大人の言う事が正しいなんて、決して思いませんが
大人・自分より年長者の言うことに、一応耳を傾けて
検討してみるのは、とてもプラスになると思います。
結論として、「この意見はやはり違うと思う」だったとしても。

MEGUMEGU(507) 題名:ADSLにしました!! 投稿日 : 2002年3月27日<水>11時35分/兵庫県/男性/20才

本当にお久しぶりです!!MEGUMEGUです。
やりました!!ようやくADSLにしました〜〜〜!!♪
一応、8Mbpsですがモデムよりもスピードは速い速い!!
あの「パスワードを確認しています・・・」が無いので即インターネットに繋がります。
本当にADSLにして良かったと思います。
なんか、速すぎて目が疲れていますが(^^;)
インターネットは気合を入れてやりたいと思います(笑)
ではでは。
http://sabermarionette.hoops.ne.jp

木本慶子(679) 題名:ADSL 投稿日 : 2002年4月4日<木>09時21分

そうですか!ADSL!
いいですね^^
私は、まだ目の前でADSLの威力を見ていないのです(^_^;)

ISDNにして3年。その時でさえ、アナログとの差に驚き
もうアナログには戻れないと思いました(笑)

ADSLも少し考えたのですが、TAを買い換える事
デジタル回線をアナログに戻さなければならない事もあり
光が実用化するまで待とうという魂胆です。

けれど、それまで3年間フル稼働しているTAが持つか心配(笑)

でも早いのは何よりも嬉しいですよね。
やはり羨ましいです〜。

移民(468) 題名:うらやましい。。。 投稿日 : 2002年3月27日<水>01時01分/東京都/男性/39才

久し振りです。元気でやっていますか。
自分にとって個人的にも、仕事的にも激動の一年がすぎました。
ふっと慶子さんの事を思い出し、うらやましいなぁ~と。
何がって、思っていること、感じていること、出来事、想いなどが歌に出来るって事。それっていいですよね。で、それが世に出て行って、もしかしたらスゲーヒットになることもあるって。
まぁ、自分でもかっこつけて書きとめてみる事が最近有るのだけれど、どうも格好悪いなと。へへっ!気にしないで下さい。
ところで最近、バンド始めました。初仕事は小中学校のバザーの催しでの演奏。
しかのオバサン?バンドの助っ人ボーカル&ギター。ま、とりあえず日頃の鬱憤を発散できればとりあえずはいいかなと。そのうちもう少しまともなバンドでも組みたいなぁなんて思っています。しかしどうも彼女たちは真剣のようで。。。(^^)

ではでは。

移民(457) 題名:バンド 投稿日 : 2002年5月17日<金>16時44分

たまにしか来なくてすみません。
どうなりましたお隣さん。結果報告ください気にはしていますので。
ところでバンド。実はかっこいいバンド組んで本格的にやりたいのはやまやまですが、現実はおばさん?(28〜42歳)バンドでギター&ヴォーカルのお手伝いと言うか指導?です。やるのは70代ロック中心ですが、疲れるんですよコレが。。。女の子?に囲まれて歌うのは某市民祭りで西城秀樹の「激しい恋」を踊りの女の子バックに歌ったとき以来(今考えると能天気な奴でした)です。
ギターの腕はそんなたいしたものじゃありませんが、そこそこはうまいと思っていますが、努力家ではないのでコピーする時に弾けないフレーズは全部自分流に作り変えてほら上手いだろ?ってごまかしちゃういい加減なものです。
そんなおじさんがおばさんのお手伝い。人に聞かせられるのはいつのことやら。。。といいつつ他のバンドと合同で夏にチャリティーの余興で出演が決まっておるしだいです。なかなかまとまらず悪戦苦闘!中ですよ。
そのおばさんたち?弾けないくせにZEPやりたいだのKISSやりたいだのエアロやりたいだの。。本と疲れる。今日も会社休んで練習でした。

木本慶子(866) 題名:混ざりたい! 投稿日 : 2002年3月27日<水>03時21分

なんとか元気でやっております! 赤い相棒共々♪

ポーカル&ギターですか!
カッコイイじゃないですか!
私もkeyで混ぜて下さい〜〜〜〜〜!
YAMAHAのkeyBoardはもう処分しちゃったんですが(T-T)


私は一番好きな事を職業にしちゃったような物で
幸せといえば幸せなんですが、辛い時もあります。
職業作家は、職人であり、いかに注文通りに品が作れるか、が一番重要なのですよね。
もちろん、自分の書く物に、自分の気持ちを反映しますし
思ってもいない事は書かない、書けないのですけれど。

例えが悪いかもしれませんが、建築家のようなもので。
日本家屋でも、高層ビルでも、ログハウスでも、お城でも、注文は様々で
いくら自分が「プレハブで造りたい、得意」と思っていても、
注文がなければ作れないのです。

そこに、どれだけ「自分風味」を出せるか、
また注文してくれる側も、木本風味を期待してくれていると思いますし。

バンド・・・
最後に人様の前で歌ったのは20歳の頃ですね(^_^;)
キーボードは、数年前、一曲だけ笠原弘子さんのライブで
弾かせていただきましたけれど。

またやりたいなぁ。
作曲家の方も、元々はご自分で演奏・歌ってらした方が多いので
結構、バンドやろっかー、みたいな話にもなるのですが
なかなか実現しませんです。

うーん、マジ考えちゃう&やりたくなるぅぅぅ。
楽しいんですよね、セッションやバンドって・・・。

妙子(778) 題名:哀しすぎる… 投稿日 : 2002年3月18日<月>21時49分/大阪府/女性/15才

同業の大先輩が亡くなりました。


日曜、『インフルエンザかな、病院へ行かな』と元気に仕事してたのに。
駐車場で倒れられたらしい。そのまま一週間意識は戻らず、今朝、帰らぬ人に…。
まさか、と思っていた。
持ちなおすだろうと。だって、まだ47歳。働き盛りなのに。

やっと産まれた息子さんは、今日、ちょこんと座っていた。
あどけない顔は悲しみの表情さえ浮かべられない。
小学1〜2年生だろうか。小さな膝頭だった。
会場へ入りきらない焼香客ひとりひとりに笑顔を見せる奥様。
痛々しくって見てられなかった。

いつも声をかけて下さった。
いつも飲みに誘って下さった。
周りを温かくさせる方だった。

お別れの言葉も、抱きしめる事もなく、逝ってしまわれた。

せめて、これから残されたお二人に
いつも温かいぬくもりが側にありますよう

こんな事を願う事しか出来ない
でも願わずにはいられない

生きていたら、こんな別れも越えて行かねばならないのかと
今日は一日、考え込んでしまった

あの時のあの会話が
最後になるなんて……。


妙子(140) 題名:ありがとう…(゚-゚) 投稿日 : 2002年3月24日<日>23時45分/大阪府/女性/15才

GOODMANさん、慶子さん、HITOMIさん、
優しいレスをありがとうございます。

おかげ様で、毎日の一秒一秒がホントに大事なんだと
あらためて思えるようになりました。

同じ仕事の女性の先輩も、皆さんと同じように、

『…Yさんのプレゼントやで。一瞬を大事にして行こうな。』

と私を慰めながら、ご自分に言い聞かせていらしゃいました。

でも、組織なんですね。

大きなポストを失って、現場は大混乱です。
そして、誰かがその穴を埋めるべく、
少しずつ大役の移動が予想されます。
亡き方の穴は、私レベルでは埋められず、かなり大掛かりな
大移動があるはず…。

そんな事を考えなくてはいけない事が、なんだか哀しいけれど、
それでも生きていく中では越えて行かねばならない事でもあると
思ってます。

皆さんの書き込みを見て、私だけではないと勇気付けられました。
誰にでもありますね。悲しい別れは。

《会って、一言でも別れの言葉を言う》

こんな事が出来る方が珍しいのかもしれません。

ありがとうございます。
少し、落ち着いた生活になりました。

明日、一年の仕事のキリがつきます。
新しい仕事の準備も進んでいます。
大げさな話ですが、いつ死んでもおかしくないと
今出来る事を明日に残さずに生きれるよう
新しい仕事と向き合いたいと思っています。

GOODMAN(578) 題名:心中お察し致します 投稿日 : 2002年3月23日<土>00時06分/千葉県/男性/17才

まさに『一寸先は闇』という言葉が当てはまるような出来事ですね・・・

僕は弐年前の八月に、小五のときから中三まで一緒のクラスだった女子が
交通事故で亡くなってしまったという出来事がありました。
聞いた話では、その子はバイクで男の人の後ろに乗っていて
そのときに事故にあったそうなのですが、怪我の具合は
男の人のほうが酷かったらしくその子はそんなに大きな怪我をしなかったそうでした。
しかし、弐、参日して突然、事故のショックによって亡くなってしまいました。

僕はその報せを聞いた日に、中三時のクラスの人たちと一緒に
その子の家へと向かいました。
その子の死に顔は本当に綺麗で、とても交通事故が原因で亡くなった人とは思えませんでした。

僕はお通夜、告別式と出席させていただきましたが、やはりその時には
遺族の方は大変悲しまれていました。
その中には弟さんもいたのですが、弟さんはまだ小さく
当然何が起こったのかは把握できていないようでした。
そんな弟さんとは対照的に、それまでは気丈に振舞っていた二つ上のお兄さんが
出棺前の御別れのときに、今までは人目をはばかって溜め込んだ涙を
御両親等と一緒に思い切り流していたのが、今でも忘れられません。

僕は今まで、いろいろな『悲しみ』を経験してきました。
その中には、本当に辛いものもありました。乗り越えられるのかどうか
それさえも分からないものもありました。
でも、そんな僕の悲しみを癒してくれたものがあります。
それは『時間』です。
『諸行無常』とよく言いますが、これは人の心もまた然りです。
良くも悪くも、時間とともに人の心は変わっていきます。
そんな中で、自分が経験した様々な感情というのはやがて、『教訓』と変わっていくのではないかと思います。
それに要する時間は様々ですが、でも必ず消化吸収しきれるものだと僕は思います。
実際、先ほどのお兄さんも、今では立派に自分の行くべき道を見据えられてるようで
少し前に、駅から車で帰られているところを見たことがあります。
以前は親に迎えにきてもらったことを考えれば、やはりこれは大いなる前進と呼べるでしょう。
僕はそれを見て、おそらくお兄さんは、妹さんの分も一生懸命生きて、自分の夢を叶えようと努力されてるのだなぁ、としみじみ感じました。

別れ悲しみというのは、とてもとても重いものですが、それを乗り越えることで人として大きく成長できるのだと思います。
それはもしかしたら、亡くなった方が最期に送ってくれた宝物なのかもしれませんね。

こんな風に偉そうにレスをさせていただいている僕ですが
明日も生きているという保障などないんですよね。
だからこそ、毎日を精一杯生きねばならないんですね。

日々是精進

木本慶子(489) 題名:失う悲しみ 投稿日 : 2002年3月21日<木>03時21分

悲しみの中でも、一番辛く、痛いほどの悲しみは
大切な人を失う悲しみだと思います。

私の心の中には「恩人リスト」というのがあります。
私が一生をかけても、恩に報いたいと固く自分に約束しています。
恩に報いるというのは、私が一人前の作詞家として
世の中に認知される、という事です。

私が今ここでこうしていられるのは、
元を辿れば、3人の方のおかげです。

その中のお一人が、数年前に交通事故で亡くなりました。
もちろん現役バリバリで、誰からも親しまれ、尊敬された方でした。
私が教育テレビなど、子供向けのお仕事を頂けるのも、
この方のおかげです。

普段は、その方からは全然お仕事は下さいませんでした。
たまに電話があるかと思うと
「なにー?土曜日の夜になんで家にいるの?デートぐらいしなさい(笑)」
「デートより、たまには仕事くださいよー(笑)」
「あははは。今度ね♪」
そんな話しばかり。
でも多くの方を紹介して下さり、私はその方の名を汚さないよう
ことさら必死に書きました。
そして紹介先に気に入って貰いお仕事は増えて行きました。

オリコンという音楽チャート雑誌の年間売り上げ、作詞家のページに
私の名前が出たときも、知らせてくれたのはこの方でした。
「きもっちゃん、すごいねぇ。先生だねぇ!」
「やめて下さいよ(笑)それよりお仕事くださーい♪」
「あははは。また今度ね♪」

恩返ししたかったです。
もっともっと名前が出て、
「私は○○さんのおかげで、ここにいられます。」と
言って歩きたかったです。

その一年後、その方の上司がやはり事故で他界されました。
先に亡くなった方とのお二人のコンビネーションは
素晴らしいもので、お二人ともこの世界では有名な方でした。
上司の方にも、大変可愛がって頂き、私はこの方にも
いつか恩返ししたいと強く思っていました。

私は、私を人間として育ててくれた人
私を作詞家として育ててくれた方、
誰にも恩返しできないまま
ここまで来てしまいました。

情けなくて、悔しくて。
せめてせめて空の上から見ていて下さい。
私が怠けようとか、手を抜こうなんて考えよう物なら全部お見通し。

今でも、携帯のメモリが消せないでいます。

HITOMI(385) 投稿日 : 2002年3月19日<火>17時09分/大分県/女性/14才

私が小学校低学年の頃、ひいおばあちゃんが亡くなりました。
私にとって、初めてのお葬式。
お棺の中で眠るおばあちゃん、お骨になったおばあちゃん、まだ記憶の中に残っています。
最初、私がどんな気持ちでその場にいたのかはよく覚えていません。
でも、私のお母さんが涙を流しているのを見て、私も泣きたくなりました。

その息子さんは、奥さんが必死な笑顔でいたから、泣かなかったのではないかな・・・と考えると、すごく痛いです。

りゅ〜いち(824) 題名:もうすぐ大学生 投稿日 : 2002年3月18日<月>07時57分/愛媛県/男性/18才

きのう同じ中学校だった友達の家に遊びに行きました。
自転車で峠を越えたり海沿いをひたすら走ったりしてやっとの思いでいきました。いなか町なので友達のうちに遊びに行くのも必死です。
最近はもうすぐ会えなくなっちゃうので友達たちと遊びまくってます(^-^)

そして、あと二週間ほどで家族ともお別れです。親もとを離れるのはもっと後のことだと思ってました。月日がたつのは早いもんだなと思います。

結局大学は3校うけて2校合格しました!

木本慶子(971) 題名:旅立ち 投稿日 : 2002年3月21日<木>02時56分

ご卒業おめでとうございます。

そして、新たな旅立ちですね。
ご実家から離れるのであれば、本当に「旅」立つのですね。

何もかも、新しいものや、なじみの薄いものに囲まれての
大学生活は、少しだけ不安も伴うのでは?とご推察します。

今まで色んな事があったと同じく、また、今までを上回る
色々な出来事、感情が生まれることでしょう。
辛いことも、楽しいことも、年齢を重ねるたびに
重い物となって行きます。

楽しい大学生活、そして素晴らしい経験を数多く体験なさることを
願っております。

3つ受けて、二つ合格も素晴らしい!!
おめでとうございます!

楽しかったことや、辛かったことや、驚いた事など
また色々なお話を聞かせて下さいね!

竜也(089) 題名:卒業おめでとう、そして大学入学おめでとう 投稿日 : 2002年3月18日<月>17時44分/北海道/男性/23才

高校生活3年間、長いようで短かった事でしょう。
同じくらい大学生活の4年間は長いようで短いです。
何をするのかをきちんと決めて、充実した大学生活を送ってください。
竜也は20日で正式に大学を卒業なのですが、楽しい4年+1年間でした。
転部といって、所属していた学部を変更して、1年多く大学で勉強したのですが、自分のやりたい勉強のために1年2年費やすのは、非常に有意義なものだと実感しました。だからりゅ〜いちさんも後悔しないように有意義な4年間を送ってください。お節介かもしれませんが、元大学生からの励ましの言葉でした(笑)